ビジネスホテルに泊まる楽しみ

 先日ビジネスホテルに泊まる楽しみを見つけました。

それは朝食。

 ビジネスホテルについても泊まれば写真は撮りますし、書こうともするんですが、ビジネスホテルの部屋というのは最低限の平米数に必要最低限のものを詰め込みましたという、その狭さもあってどうしても似たり寄ったりな造りで、それは当然撮った写真でも同じような写りでつまらなく、カタカタ打つ感想までも画一的な絵面と文章になってしまって、特筆すべきことのないホテルについては無理に書くことは止めました。

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 パン派ではないのでホテルの朝食に興味が向かないのが一番の理由ですが、朝に起きてて朝食を食べたい時もたいてい外に出ますし、そうじゃなくてもまずルームサービスで考えるので、このブログに書いてきたホテルの中で朝食を食べているのは3分の1くらいじゃないですかね。

朝食代金が既に宿泊料として取られている場合もあるので利用することもありますが、全体の半分くらいは朝食の提供されている時間に寝ているため、経験が少なくよく知らない世界です。

 自分の印象では所謂四つ星クラスのホテルだと全体から見て和食方面の手を抜いているように感じていて、ご飯(炊き具合)にしろ、味噌汁にしろ、料金を聞いて納得できるほどのもんが出ていたことがない。

おかずにしても「っぽい」のはなんかの魚の切り身を焼いたようなのが山積みにされているやつくらいで、あとは和洋兼用のものばかりだからどこへ行っても似たような朝食になるからつまらなくて食べる気が湧いてこない。

今までで「良かった朝食」として記憶に残っているのは、東京のシャングリラ、伊香保の吉田屋旅館、パタヤのアマリ、九份の九重町客棧、台北の大欣大飯店ホテルドルフ静岡、と半分は海外で、安い宿の割合が多いのはやっぱり部屋では差をつけられない分朝食に力を入れているか、地元のおかあさん的な人力のおかげでしょう。

 静岡のホテルドルフでは郷土色のあるものが並んでいて「こういうのが嬉しい」って思ったのを覚えていますが、旅行で行ってたらその土地ならではの珍しいものや、出来るだけその国の料理で好きなものを食べたいと思っているので、今回朝飯求めて駅前ふらつこうとして目にした朝食の案内。

さすがにマンネリ化を感じ始めていた最近の国内旅行だったんですが、こういう感じに郷土色豊かで特色ある朝食があると思ったら、それ目指して行くのもありかなって思うようになりました。

一度も行ってないのに二度と行かねえと思った店の話

 去年博多へ行った後探して次回行こうと思って楽しみにしていた店での話です。

過去「二度と行かない」と堅く誓う店やホテルに行き嫌な思いをする度書き綴って来て一カテゴリーに昇格させましたが、まさかこんな目に合うとは思ってもいなかった。

 

以下「 」は電話のやりとり

 

 「すみません、今からなんですが席ありますか?」

 「ーえーと・・・21時閉店でもうラストオーダーなので・・・」

 

19:56分の話でラストオーダー20:30です。

 

 「それでもいいんです。お店まで100~200mあたりまで来ているんですが、今の時点で席に空きはありませんか?」

 「ー本日少々混みあってまして・・・お待ちいただくにも時間が・・・」

 「蕎麦だけ食べられれば…と思っているんですが・・・」

 「ーおそばも温かいもので今日はもう出てしまったものもありますので・・・」

 「蕎麦自体がなくなってしまったんですか?長居はしませんしカウンターでも良いのですが・・・。その・・・特別な蕎麦、例えば鴨せいろの鴨がないとか、ねぎがないとかでせいろ(蕎麦)はいただけるんですよね?」

 「ー少々込み合ってまして~なんたら」

 「わかりました。」

 

切りました。

とりあえず店の前まで歩いて行き(2分間)店を通りから覗いたら奥のテーブル席は空いていたし、カウンターも埋まっていませんでした。

 

自分の話し言葉から地元の客でないことは伝わっていたと思います。

確かに一観光客の一見客です。間違いありません。

ただ、限りある3度の夕食(3泊なので)のうちの1回をはるばるあなた方のお店の蕎麦を食べてみたいと思い足を運んだんですよ、遠くから。

一度きりの人生。記憶に残る夕食って何回あると思いますか?

旅行で訪れた僕がそこで食べられる蕎麦は一生の内何度あると思われますか?

 

人相手にものつくって商売する資格ないよあなたに、尾崎さん

今までの人生でこれほど悲しい気持ちにさせられた記憶がない。

蕎麦屋名乗らず居酒屋と言ってて下さい。それなら行こうと思わなかったから。

うなぎの旅 四 蓮田 魚庄 本店

 今のところ鰻ではここが一番と思っています。

何度か来ていて感じたのは、いつ来ても変わることなく同じ味。

 「ああこれこれ。これを求めて来たんだよ。」という安定感。

鰻自体はどこで食べても鰻ですけれど、何のお店だろうと近くに寄ったら食べたいなと思うのは「”あの時”食べたのと同じ味」を求めてじゃないですか?

 「あれ?前に来た時こんな味だったっけかな?」と自分の記憶を疑うようなことは一度もなく、同じような身の厚さの鰻で記憶にあるのと同じようなふっくらさ加減の食感と味。

食べる側としては「当然それがあるもの」として行ってるわけですが、歳を重ねて経験が積もっていくにつれ、いつ行っても満足できる変わらない「ソレ」があることの凄さに気づくようになりました。

 

 三重は関の初音で食べて以来関西の鰻の方が美味しいと思ってきましたが、去年再訪して食べた感じで比べるなら負けてはない。

 なぜこちらの方を一番としたのかといえば、それは皮の差です。

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画像からでも脂の凄さは伝わると思うんですが、皮まで美味しいんですよねここ。身と皮との境目がウマい。

 そして生臭さや泥臭さを感じたことが一度たりともない。

生魚が得意ではないため、生臭さや泥臭さを感じてしまう店(時)も時たまあるんですが、それがなく、さらに細かいことを言えば、米の炊き具合やちょっと甘めのタレの味や、かかり具合も自分の好みなのか丁度良い。

ご飯と一緒でなく、鰻だけで食べると他の店との差がはっきりわかると思います。

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 並、上、特の差は鰻の大きさ(量)ということです。

 何か用事がないと訪れることのない地域だと思いますし、その何かすら発生しない土地ではないかという印象ですが、三重の初音同様、そのような場所で続けていられる理由は確実にあり、その価値を確かめに是非近くを通ったら寄って欲しいと思います。

 

 写真は「特」のものですが、記憶が朧気ながら(値段が)ホントうなぎ上り。