琵琶湖ホテルは関西方面で宿泊先を探していて見つけた「よさげなホテル」の一つ。
ホームページにてレストランを見るとリッツカールトン京都と同じように和食の店の一角にカウンターで天麩羅を食べられるようなところがあったので、機会があればと登録してありました。
京都泊を決めた時の気分だと行きで逃したすだちそば(前の日の晩食べてるんですが)か、行こうと考えていた会席の水暉(か天麩羅の水暉)だったんですが、起きた感じなんとなく会席より天麩羅の気分だったのもあって、新規開拓魂が発動。
滋賀県は大津、京都から電車で10分と書いてある。
京都から大阪へも近いと感じていましたが、滋賀県で一番大きい街の駅が隣町のような近さにあって、それを何度か通ってもいるはずなのに今まで知らなかった意識の無さに驚きました。
その近さに、琵琶湖。そして降りたことのない駅。
行ったことのないところへというのは旅行中ですら新たな小旅行気分にしてくれるもので、駅からホテルまで散歩程度の程よい距離を知ったら、水暉へ行った後一人京都を彷徨うよりも肉眼で見た記憶のない(はず)琵琶湖に気持ちが向きました。
目的地もなくただ京都をふらふら歩くのに飽きていた、というのもあったかと。
泊まっていた日本館からは30分あれば着く計算でとても近いし。たぶん日本館からかかる時間はリッツカールトンへ出向くのとそう変わらなく思え、昼のコースが5000円と8000円とどちらのとも同じような感じなのでより興味を持ちました。
はたして(近いんですけど)隣の県まで出向く価値はあるのかないのか。
物好きの行動の典型っスね。同じ程度の料金ならどう考えても普通に水暉で食べてた方が間違いないと思います。
結果「うーん・・・」とはっきり何がどうと言えない感じの残念さがあるものでした。
観光客の総量差から穴場的に空いてる快適さの中、カウンターで食べる5000円の天麩羅は決して高い物ではないんですが、それを高いと思わせてしまうものがリッツカールトンの水暉にはあったというとこですかね。
まず接客全般がこういうホテル、ホテルのレストランに求める洗練されたものとは違い少々劣って感じました。よくある地方の「地域一番でホテル」という、どことないぎこちなさや疑問を感じるものが最初から最後、文字通り予約した名前を告げ席に案内されるところから最後の会計まで続きました。
食後、「会計を」と席でお願いすると入口の所まで行ってくれと言われたり。
思い返せば入店時に会計をしている人の姿を見ていましたが、受付前に会計のための人だかりが在って混雑しているのってチェーンの居酒屋の様に見え、見栄えのいいもんだと思えないんですよ。
空いていて自分の料理だけに集中してもらえるのはとてもありがたかったですが。。。
水暉の香妃(コース)と揃えるつもりはありませんでしたが、鮨は要らないので5000円の銀冠というコースを選択しました。
違う油で揚げたと供された二尾の才巻きと呼ぶには少々大きく見えた海老、口に入れるとそれぞれの違いははっきりとわかるものの、その意図がわからず。
2尾目です。1尾目食べて微妙に感じたため撮影
どちらも油のニオイが際立ってしまって、海老の旨みを感じる料理にはなってないという感想。
たぶんこれはその油の違いをはっきりさせるという狙いのためなんでしょうが、油の強さがその薄い衣の存在まで消し飛ばしてしまっていて、もはや口の中は天麩羅というより見た目通りの素揚げを食べている感覚。
「揚げる油の違いでこうも違う仕上がりになるんだな」ということだけはしっかり感じ取れますが、どちらも「ウマイ」とは思えなかったし、それに食べ比べてはっきりとどちらかが「うまい」となるならば、(主旨はわかりますが)よりおいしい状態で仕上げられてないものをわざわざ出してくるのには疑問しか感じません。
交互に食べ比べたわけではないのですが記憶に残ったのは、「なんかどっちもどっちで、どっちも美味くは感じなかったな・・・」というとても残念な感じ。。。
地のものは魚介の単品では特に用意されておらず、キスを追加で頼みましたがそのキスは肝心の鱚の風味が弱く身の厚みも感じないモノ。
めごちは紫蘇が巻かれていてイヤな予感がしましたが、やはりあの独特なせっかく風味が弱まり、というか想像通り紫蘇の香りに負けてしまっていて台無し・・・。
琵琶湖の稚鮎(たで酢はなし)は琵琶湖畔で食べてもやっぱりフキノトウ同様、理解できない味。酒飲まないから分かりえないのか身だけで美味しく食べるのはダメなんですかね・・・。
鱧の天麩羅はどこかちゃんとしたとこで食べたことあったっけかなぁ。
何も言われずに食べたら何の白身だかわかんなかっただろうと思ったんですが、それって(鮮度や食材の良さ的な意味での)風味不足か、油に負けて風味が飛んでしまっているのなら=天麩羅という食べ方が向いてないってことでは???と思ったんです。
他では見かけない食材が多かったのでとても楽しみにしてたんですが、どれもお世辞にもおいしいと言えたものではなく、味がしない、天麩羅として食べる良さがわからない、また感じれないものばかり。
半分にしたものの片方をバーナーで炙った生麩?(たぶん生麩)は、ただ焦がした失敗料理の味がするし(香ばしいとかではなくはっきりマズかった)、天麩羅とする意味のわからなかった赤こんにゃく(あとで土産物屋を覗いて名物?なのだろうと知りましたがそうという説明がないので分かっていない)や、なぜそこにイカを?しいたけを?持ってきた?と思った椎茸のイカ詰め?だったり、(温かい状態のものを初めて食べたと思うんですが)やはり煮びたしとか冷たくして食べる方がうまいと思ったオクラなどなど。
シシトウなんか似たような形してますし別に天麩羅として食べるのがダメだとまでは思いませんけれど、ここは素直に(京都近いんだし)万願寺唐辛子を出されたら喜べたと思ったりしてましたから、ちょっと外し(やり)すぎではと感じてました。
唯一アリかなと思えたのはこの↑ポロ葱。
天茶は今まで食べた天茶の中でも美味しいものでした。
かき揚げの細切りにされたさつまいもが絶妙な配分で大変美味。
さつまいもの天麩羅は細切りで食べるのが一番やも?と新たな発見と思えたほどなんですが、天茶は最近当たりが続いているため、心を動かされたというところまではいかなかったかなというところでしたが、かなり美味しかったのは事実。
甘味が好物でない自分が「これが今日一番かもな(笑)」と思ってしまったのは水菓子類で、これはホントに一番力が入っているように見えました。こうして後から写真で見ても栄えてますし。
まとめますと、10分先の京都に水暉という優れた店があるためどうしてもそことの比較が避けられないのですが、サービスについてはサービス料が違いますから、一段劣っていようと仕方なしと割り切れていまして、一番気になったのは食材の差です。
細かく比べていってみると、水暉の魚介は太刀魚、伝助穴子、鱈の白子の3種で、野菜は慈姑、舞茸、堀川牛蒡、蕪、薩摩芋の5種とカマンベールチーズに車海老入れた全十品。ご飯と赤出汁はつきますが、かき揚げはないので天丼や天茶は選べない。
おおみの方は魚介がめごち、稚鮎、鱧で同じく3種、野菜に蓮根、ポロ葱、水茄子、とうもろこし、オクラ、イカ詰め椎茸の6種で、生麩と赤こんにゃくに車海老の全12品に口直しのサラダがついてかき揚げ天丼か天茶が選べる。
車海老にも差があって水暉は1尾のところ、おおみが2尾なんですが、おおみの海老はちょっと大柄な上、(趣向から)妙な味に感ぜられたため素直に喜べる点ではなく。。。
以上にそれぞれどちらの店とも先付と食後のデザートが付いて5000円也(税・サ別)。
水暉は旬の食材織り交ぜつつ天麩羅で食べるのが美味いとされる並びに、実際食べて美味しいと思えた変り種が揃えてあり、一通り食べた後再度頼むとしたらどれにしようかと迷える程なんですが、おおみの方にはもう一度食べたいと思える天麩羅(食材)はなく食後の満足感に大きな差が出ました。
変わり食材自体にうまさはなくとも天麩羅として揚げた妙味、「こんな感じになるんだ」というような全く想像の出来ない変化のようなものが面白さとして感ぜられたのであれば良かったのですが、中身のない映画の尺稼ぎのように逆にその無用な品数の不要さが目立ってしまって大きくマイナス。
公開していないのですが、今年の二月に沼津の旬海という店で食べた野菜の印象がすごくて(めちゃくちゃ美味しかった)、琵琶湖含めていい気分転換にはなりましたけれど食事としてだけ考えると「うーん。。。」という感じ。。。
思うに今回京都に居てわざわざ隣県の琵琶湖ホテルまで行ったわけですが、逆に琵琶湖ホテルに泊まっていて天麩羅が食べたくなれば「片道30分かかるとしても」間違いなく水暉に行くでしょうね・・・。。。京都観光をからめてもいいわけだし。という感想です。