2017年泊まって一番よかったところは

 候補に浮かんだのは2ホテル。

大阪のマリオット都ホテル福岡のグランドハイアット

IMG_075315 (Large)大阪マリオット都ホテル

 一番良かったのは・・・大阪マリオット都ホテルにしました。

毎年書こうとした時にはそれとなく決まっていて書き始めるんですが、今年は悩んだ。

IMG_083223 (Large)大阪マリオット都ホテル

 泊まった部屋だけで言えば、開業して数年の大阪マリオット都は高層、大きい窓、ビューバスと自分の好み通りでその他の面でも満足度の高いイイ滞在でしたが、すんなり今年一番だったと決められない程グランドハイアット福岡滞在中に接したたちが抜群にイイ気分にさせてくれた。

 グランドハイアット福岡での部屋はビューバスでもなく、広くなく、高層でもなくて、居心地悪くはないけれど居るだけで高揚したり、「ずっと部屋に居たい」と思うような飽きの来ない部屋ではなく、特別な部分も不満もほとんどない及第点な部屋。

IMG_213429 (Large)グランドハイアット福岡

それが働いてる方の素晴らしい接客と、商業施設の一部ということから同じ建物内にあるレストランがホテルダイニングらしからぬ変化に富んだ多様な顔ぶれで、残念なことにそれらのレストランはホテル直営ではないそうなので、バーフィズやアロマーズで受けたような接客は望めないでしょうけれど、この二つだけででホテルからは無理して出たくないなーと思いました(笑。

外で食事にしてても早くホテルに帰りたいって思いましたし。

IMG_8141 (Large)グランドハイアット福岡

 マリオット都は前述の通り文句なく好みの部屋。そしてその他、人から受けるサービス全般については、基本的に放置で構わなく、無駄なサービス(荷物を持つだの部屋への案内だの)の一切を必要としない人間なため、あっさり目でも評価は下がりませんし、実際に悪いと感じることなどありませんでしたし、献立が合わなかったので行かなかったんですが、レストランは大満足したルームサービスからかなり期待を持っていて(食べられないもののない献立ならレストランだけでも行こうと思ってます)、下のハルカスのレストラン街にふぐ屋があったり、食の面も引けは取らない。

これも自分は利用方にうるさい国内じゃ使わないのでどうでもいいんですが、唯一マリオット都ではっきりと欠けてると思ったところはプールくらいじゃないでしょうか。

 「○○が抜群にヨカッタ!!!」と一部分で突出しているわけでなく、いろんな部分がそれぞれ自分からしたら好評価でって感じですね。

再訪してみてもその思いは変わらず、自分と合わないのはベッドの硬さくらいなような・・・。

 

 ということで、次点はグランドハイアット福岡。

 また今年は書いてませんがビジネスホテルの利用も多かった年で、その中でも記憶に残っているのが、朝食がこっていてとてもおいしかったホテルドルフ静岡

食べられてませんが、17時から牛丼や静岡おでんといったウェルカムフードが用意されていて、静岡では他にも泊まってみたいホテルはあるんですが、またここへも朝食のちらし寿司と味噌汁をいただきに行きたいなと思っているくらい美味でした。

Instagramはじめました

 埋もれるボツ写真が不憫なので利用法を考えていました。

実情を知るまでのその期待の高さ、ちょっとした高揚感っスね、これにそぐわなかった場合それを伝えることなく、なかったことにしているのがしっくりこない。

Twitterも考えましたがイマイチ肌に合わない感じなのと、文字なし文化の方がブログとはっきり棲み分けられていいかなというのと、海外用に。

海外用というのは二意味あって一つは、旅館や安宿、そして食はどちらかといえば外国の人に見てもらいたいと思っていて、そしてもう一つが自分用、長旅もしなく(出来なく?)なって、安宿に泊まって情報交換っていう旅行の仕方ではなくなっているので、新たな情報っていうモノの入りどころが年々狭まってきていると自分では感じています。大仰に言えば年々固く保守的になってきているような。

 

instagram

 

ツボって日常まで使っていくか、旅行など出かけた時専用でいくか、とりあえず年内は馴染むかどうか試験運用って感じで使ってみようとしました。

感動した食べ物・食事

 何かを食べて感動したことってありませんか?

先日、とは言ってももう半年も前なんですが、「確かにここはここでうまいけど感動するほどの美味さじゃないんだよ、わかる?」というような話をしているとこに遭遇しました。

自分は参加することなく「うんうんわかるわー」(例えばアレとか、アレうまかったなー)と頭に浮かべながらそれを聞いていたんですが、話題に加わっている人たちは皆、食に興味を持たずに生きて来た人たちなのか、「何かを食べて感動することってあるじゃん?ない?」という問いに共感、同意はなく、話題の根底が存在してない感じ。

いつだったか生まれた時から目の見えない人に物の色を伝えることの難しさに気づいた時から、感じられない人=その感覚を持ち合わせていない人に、その事の説明をすること=共感を得るって困難どころか出来ないんじゃないかと思うようになっていたんですが、「これ食全般でも言えることだわなー」と久々思い出しました。

 そういう感覚、感情でもそうですが、ソレが芽生えない人間であるのならば、それを感じ取る能力が備わらない限り、感じ取れないし、理解出来ないもんなんだろうな、と

諦観じゃなく達観と思ってますが、同じソレを経験しても同じ感動が得られているとは限らない

 味付けでも好みの差がありますけど、食材の好き嫌いなんかまさにコレ。

食にかけるお金の多寡、人生に置ける食の重要度に差はあると思ってましたけど、確かにある程度同じような味覚を持って同じようなモノを食べても同じように心が動かされてない人もそらいるわな、どころか、えっ?そういう人のが多い?

食べることが好きで食べログみたいなサイトを見てれば同じような価値観の人で溢れていて、一見そうとは見えてもそれが=普通、多数派と思ってたわけじゃないんですが、むしろ少数派?って思わされるくらいその時の対話は成り立ってなかった(笑

 

 分かる人と分からない人の間に優劣は存在しませんけど、共有・共感出来ないのは寂しい。

こう思いつつ話しを聞きながら、自分が感動した食事を思い出していました。

 「世の中にこんなウマイもんあるんだーーー」っていうベタな感動から、「・・・ナニコレ・・・っっっすっげーうまい・・・」と固まってしまう感じのもの、それまで食べてきた同じものの中で一番と思ったもの、今まで「それ」と思って食べてきたものは別の何かと概念を書き換えられたものや「これが本物」と自分の好みを気づかされたものなどなど、それぞれ「どこで」「誰と」食べたのかはっきりと覚えてます(連れられてったおかげで店名がわからないトコもありますが、苦笑)。

自分にとっては「食べることが(も)人生」でこういう色々な感動を与えてくれる楽しみの一つ。大袈裟に書けば生きてる意味で旅先で出会いたいものの一つなんですよねー。

旅行記。喰遊記、時に宿泊記